文豪・森鴎外(1862〜1922)が、二女で随筆家の小堀杏奴(あんぬ)ら家族に送った手紙やはがき約100通など大量の資料が見つかった。98年に亡くなった杏奴の遺品に含まれていたもので、ほとんどが未公開という。家庭人としての鴎外の素顔を伝える貴重な資料で、カラー複製されて「鴎外の遺産」(全3巻、幻戯(げんき)書房)として12日に第1巻が刊行される。
東京都世田谷区にあった杏奴の自宅で見つかった。鴎外の書簡のほか、杏奴のために作った手製の教科書約20点、永井荷風らの文人から杏奴あての250通以上の書簡など。鴎外の手紙などは晩年、帝室博物館総長として奈良・正倉院へ単身出張した時期のものが多い。
はがきに「オカアチャンニヨロシク」などと短文を記したものが多いが、妻あての手紙には「アンヌにとらせたい正倉院の中のゲンゲ(レンゲのこと)」と書き、レンゲの押し花を同封したものもあった。
子供たちにあてて、お話風に「ヒトリデタベタクナツテ モ一ツノヲンナノシカニトビツイテ ケンクワ(けんか)ヲハジメマシタ。ニクラシイカラ ハコヲトリアゲテ 三ツニワケテ コドモニモタベサセマシタ」と書かれた、自筆の絵入りの手紙もあった。
また、自ら歴史や地理の知識をまとめ、とじた「教科書」からは鴎外の熱心な教育ぶりがうかがえる。
小堀家と長年交流があり、資料の整理に当たった元編集者の小尾俊人さんは「和歌の添削などもしており、これまであまり知られていなかった子供たちの成長にかかわる鴎外の姿がうかがえる。長期の出張を重ねたために手紙などの形で残ったもので、明治・大正期の家庭教育の実態を伝える意味でも貴重な資料だ」と話している。【大井浩一】
(毎日新聞) - 11月5日13時43分更新